2014年9月8日月曜日

小牧野遺跡&下湯ダム運動公園編



こんにちは。今回は青森市の小牧野遺跡と下湯ダム運動公園です。


青森市の遺跡という事では国特別史跡である三内丸山遺跡が全国的にも知名度が高いですが、小牧野遺跡も国指定史跡になっているれっきとした遺跡なのであります。


特別史跡は全国で61件しかなく(2014年3月18日現在、wikiより)、青森県内では三内丸山遺跡だけです。
近い所では北海道の五稜郭、岩手県の中尊寺境内などが特別史跡に指定されています。
なるほど、あのクラスだという訳ですね。


さてしかし、今回は小牧野遺跡です。
小牧野遺跡は高田方面にあります。青森空港方面と言ったほうがいいかな。
また下湯ダム運動公園は下湯ダムに併設されているような感じの公園なのですが、これまた結構遠い所にあります。
堤川浄水場から更に奥に進みます。


まずは、小牧野遺跡に行ってみましょう。


国道7号線からスカイブリッジ方面へ進行し、スカイブリッジの麓の信号を越え、県道44号線付近の市道を通ります。




スカイブリッジ交差点を通過してから県道44号線~県道122号線を通るルートもあるのですが、この市道を利用すると真っすぐで信号もないので楽なのです。
地元の人が利用する道という感じですね。











この交差点を直進なら青森公立大学方面、左折・右折は県道122号線でここを右折します。











県道122号酸ケ湯高田線、です。
そうです、酸ケ湯まで続く県道がこれなのです。しかし、地図で見るとわかるのですが、この県道は結構厳しそうな県道です。私は122号線を通って酸ケ湯まで行った事がないのでわからないのですが、多分途中からは未舗装だと思います。
なおこの少し先が左右の分岐になっているのですが、右へ進みます。











この辺は野沢という地名で良いのだろうか。前方に小さい黄色の看板が出ているので、指示通りに右折します。
右折して少しで右側に2012年3月で閉校した野沢小学校があります。
同校は現在、小牧野遺跡保護センター(仮称)として改築中で、2015年5月にオープン予定のようです。


そういえばこの野沢小学校の学区であっただろう高田中学校は2011年に閉校しましたが、前までは校舎は現存していたのですがこの日見たら校舎は取り壊されて無くなっていました。


人口減少という言葉を最近よく耳にしますが、青森市も同様で、確か向こう10年以内にガクッと小中学生の数が減る時期に突入するとか。
その頃には他の学校でも統廃合が進むかも知れません。


しかしよく考えると青森戸山高校も閉校になったし、青森市の人口はそう変わっていないように見えても、それは寿命が伸びた事によるものだとすると、子供の割合は減っているのだろう。


とにもかくにも、人口が減ると、それまで行っていたサービスの種類や水準を維持できなくなるのではと思う。
あちこち自転車で行っているとわかるのだけど、例えば道路なんていうのは、放っておけば脇から草がどんどん伸びてくるので、管理が大変なものだ。
人の手を入れないと、あっという間に自然が自然に還そうとする。
人の往来が少ない道路はあちこちにあるけど、そういう道路も現在の水準で管理できるかどうか。


また郊外にあるような集落では、人口減少が進むと商店や病院などの利便性から、中心部へ引っ越す人が増えるだろう。
不便でも残るのは、ずっとそこで暮らしてきた高齢者がほとんどだ。現代の若い人は、あまりその地に未練なく去る。
過疎が進むと役場と墓しか残らなくなる、という言葉が現実となる時代は遠くないのかも知れない。













閑話休題。
さて野沢小学校を過ぎて少し進むと三叉路があります。案内看板通り、左折します。











曲がるとすぐに舗装が途切れます。ここからは坂道になっていて、登りが続きます。











これは何でしょうか。











結構距離があります。











やっと着きました。











駐車場にプレハブ小屋が建っています。ミニ資料室だそうで、小牧野遺跡に関するパンフレットなどがあります。











写真の展示物。











世界遺産に。しかし、世界遺産も増え過ぎるとどうかなと思ってしまうのは私だけだろうか。











キャッチフレーズ付きのポスター。











小牧野遺跡の目玉は環状列石だそうです。環状列石は祭祀の場所だったと考えられています。













今から約4,000年前の縄文時代の遺跡。













環状列石に使われた石は近くの荒川から運ばれたと考えられているそうです。
一番重い石は493kgもあるとか。












小牧野遺跡の環状列石は石の組み方が特徴的で、楕円形の石を縦に置き、その両側に平らな石を数段積み重ねて並べられおり、この縦横交互の列石は全国的にも珍しく、「小牧野式」配列と呼ばれているそうです。












人の墓や食べ物を貯蔵していた貯蔵穴も見つかっています。
写真には木彫りのフクロウが映っていますが、この遺跡には他にも動物の木彫りの像がありました。これはもちろん現代の人が作ったものでしょう。












土抗墓。人のお墓です。100基以上見つかっているとか。
これを発掘した時に、人の骨は中に残っていたのだろうか。












展望所があるようなので行ってみましょう。(・∀・)












途中にリスさんみーっけ。(・∀・)












展望所です。おおー。












小牧野遺跡は何と言うか、昔の雰囲気がする場所でした。












小牧野遺跡をあとにして、下湯ダム運動公園に向かいます。さっきの県道122号線を奥へ奥へと進みます。
途中、かもしか注意の標識に遭遇。












堤川浄水場。













稲荷神社。迫力のあるしめ縄がありますねー。












この横にさらに鳥居が2つ並んでいました。こんな風に鳥居が横並びになっているのは初めて見ました。












さらに進んで行くと左手に大王龍神大神。名前の由来を知りたくなりますね。












少し進むと左手に青森散弾銃射撃場の看板が。 











この先にあるようですが、何やら看板があります。











この先は東北電力の専用道路のため、地元地区である大柳辺町会住民と社団法人青森県猟友会会員以外の無断通行は禁止されているそうです。
どちらでもないワタクシは、U!ターン。











下湯ダム運動公園が近づいてきました。












左→下湯ダム運動公園、右→下湯ダム管理事務所。左へ。
ちなみにこの先の道路なのですが、幅員が狭くなり見通しの悪いカーブが続くので、減速のうえ対向車にじゅうぶんな注意が必要な区間でした。












ダム施設の一部が見えてきました。












水路。結構迫力があって、その場にいると怖かったので素早く通過。(・∀・;)













下湯ダム運動公園に到着。結構広い公園です。
草が伸びていたのですがこれから草刈り業者が入るのだろうか。













テニスコート。コートは普通に使えそうですが、ネットがありませんでした。












正面の山に岩が露出している。名前でもつけたら良さそうだと思いました。












白鳥鴻彰(しらとりこうしょう)翁の記念碑。同氏は明治-大正の青森県議会議員で、旧民有林が国有林に編入されてしまった際に、その返還を求めて裁判を起こし、勝訴したそうです。早稲田大学の前身の東京専門学校出身で、弁舌に優れていたとか。
荒川小学校の校庭に胸像があるそうです。












白鳥鴻彰氏の記念碑から少し奥に進むと、青看がありました。












酸ケ湯まで14km。この道路は下湯平成湖に沿って続き、下湯ダム管理事務所を通過しているさっきの県道122号線に合流します。
まあ要するにこっちからも県道122号線に合流できるという事なのですが、この道路状況を見て突入する人は少ないだろうなあ。ほとんど交通量はないと思いますけど、万が一のすれ違いはできそうにないし。(・∀・;)











下湯平成湖。下湯ダムは1988年竣工。













案内板。
自分が訪れた時は午後6時という事もありますが、人影はありませんでした。
しかしそれ以上に、普段から利用されているような気配はあまりしませんでした。




この日はこの他に一箇所寄り道をしたのですが、何だかんだで走行距離が100kmを超えていました。
青森市も広いなあ~と思った一日でした。








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